明智光秀を主役としたNHK大河ドラマ、『麒麟がくる』が2020年1月から放送予定です。
大河ドラマとしては初めて智将・明智光秀を主役とし、その謎めいた前半生に光があてられます。物語は、1540年代、まだ多くの英傑たちが「英傑以前」であった時代から始まり、丹念にそれぞれの誕生を描いていきます。
今回はその『明智光秀』とライバルである『豊臣秀吉』を比較したいと思います。
目次
基本情報
豊臣秀吉 | 明智光秀 | |
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生誕 | 1537年3月17日 | 1528年3月10日 |
死没 | 1598年9月18日 | 1582年7月2日 |
享年 | 61歳 | 54歳 |
年表
豊臣秀吉 | 明智光秀 | |
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1528年 | 3月10日 美濃国(現在の岐阜県)の明智城で生まれる |
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1537年 | 3月17日 尾張国(現在の愛知県)で百姓の子として生まれる |
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1535年 | 父綱が死没、家督を相続する | |
1554年 | 織田家に仕官 | |
1556年 | 明智城落城 浪人となり越前国の朝倉義景に仕官 |
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1560年 | 「桶狭間の戦い」 | |
1566年 | 「美濃国攻め」 一夜城として有名な墨俣城を築き功を立てる |
足利義昭の幕臣となる |
1568年 | 織田信長に仕官 | |
1570年 | 「朝倉義景討伐」 「金ヶ崎の退き口」 |
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1571年 | 「比叡山焼き討ち」 | |
1575年 | 「長篠の戦い」武田勝頼軍を破る | |
1577年 | 「手取川の戦い」 柴田勝家と不仲の秀吉が離脱、上杉謙信軍に敗れる |
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「信貴山城の戦い」(松永久秀討伐戦) | ||
1579年 | 「三木合戦」 織田氏による播磨平定 |
丹波国、八上城の波多野秀治、秀尚兄弟を攻め落城させる |
1581年 | 「鳥取城の戦い」 豊国を臣従させる |
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1582年 | 甲州征伐(武田征伐) | |
「備中高松城の戦い」の最中に「本能寺の変」の報を聞く | 6月21日「本能寺の変」 本能寺に宿泊中の織田信長を急襲する。 |
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7月2日「山崎の戦い」 中国大返しを行った秀吉が光秀を破る 光秀は敗走途上、伏見小栗栖の竹藪で落人狩に遭い死没 |
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1583年 | 「賤ヶ岳の戦い」 柴田勝家を破り、信長の継承者となる |
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1584年 | 「小牧・長久手の戦い」 | |
1585年 | 「四国平定」 「関白宣下」 「藤原氏」へ改姓 |
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1586年 | 太政大臣に就任 「豊臣秀吉」に改姓 |
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1587年 | 「九州の役」 島津軍を降伏させる |
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1590年 | 「小田原征伐」 北条家を降伏させ、天下統一を果たす |
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1592年 | 「文禄の役」 朝鮮出兵を行う |
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1596年 | 「慶長の役」 再度、朝鮮出兵を行う |
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1598年 | 9月18日 伏見城にて病死 |
まとめ
光秀が本能寺の変を起こした理由は謎に包まれていますが、大河ドラマではどのように描かれるのでしょうか。秀吉との関係にも注目しましょう。
以上『明智光秀 vs. 豊臣秀吉』でした。
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