漫画「キングダム」495話で『李斯』が『韓非子』の名を出しました。
韓非子の名は「韓非」ですが、敬称である「子」をつけて韓非子とも呼ばれます。
両者はどのような関係でどちらが優れた法家だったのでしょうか。両者を比較したいと思います。

目次
生涯
李斯 | 韓非 |
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紀元前284年頃 楚の上蔡で生まれる | 紀元前280年 韓の公子として生まれる |
役人だったが一念発起し、思想家・儒学者である荀子の元に赴く | |
共に荀子に師事する | |
秦に赴いて呂不韋の食客となる | しばしば韓王に建言したが容れられず、「韓非子」を著して政治の方法を論じる |
呂不韋の没落後に出世し、宰相となる | 講和の使者として秦に赴く 秦王政は韓非の著書「韓非子」を気に入り、登用を考える |
紀元前233年 権力が脅かされることを懸念した李斯は、韓非子を自害に追い込む(諸説あり) | |
紀元前221年 秦が中国を統一し、李斯は丞相に任命される | |
紀元前210年 始皇帝が行幸先で死去 李斯は宦官の趙高とともに、長子の扶蘇ではなく末子の胡亥を跡継ぎとするよう遺書を改竄する |
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紀元前208年 李斯は趙高に無実の罪を着せられ、処刑される |
両者の功績
李斯の功績
・他国に潜入し、各国の王族と将軍の間の離間を行う
・紀元前237年他国人の追放令(逐客令)が出た際に『諫逐客書』を上書する
・思想統制として焚書坑儒を行い法治主義を加速させる
・郡県制を採用し、中央集権体制の確立を図る
韓非子の功績
・現代でも呼ばれる帝王学『韓非子』を著作する
まとめ
李斯は法家理論の完成者、韓非は法家の実務の完成者とされます。
李斯は韓非を謀殺、偽詔で扶蘇を謀殺、焚書坑儒による思想弾圧を行った為、後世の評判は非常に悪いですが、秦の中国統一において最も大きな役割を果たしました。
漫画「キングダム」では、今後両者はどのように描かれるのか非常に楽しみです。
以上、『李斯 vs. 韓非』でした。
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